梨とリンゴ

ニューヨークとっとり応援ブログ!

アップルサイダードーナツ

雨の降る週末日はアップルサイダードーナツ

 10月に入ってから毎回週末は申し合わせた様に天候は雨である。秋の黄昏気分の雨は冷たく気持ちまでも曇る。こんな時は家でおとなしく過ごすのであるが、週末をどの様に過すのかは迎える新しい一週間の気力調整の為にも大切である。

 近くのマーケットに一週間の食材の買い物に出かける。秋はリンゴの収穫期、いつも以上にリンゴが袋積みされており量も種類も豊富にある。毎週一袋のリンゴを購入するのだが、甘いリンゴが好きなので、いつも購入するのは日本種のFUJIであり、今回も迷う事無くFUJIを選ぶ。

 鍋を用意しリンゴをミキサーに掛けてシナモンやナツメグの香味料と一緒に煮込み、アップルサイダーと呼ばれる飲み物らしきものを作る(怪しいレシピ)。同時に小麦粉にイースト菌を混ぜ、北東アメリカのカエデの木(バーモント産?)から摂取したメープルシロップとアップルサイダーを流し込み捏ねてから暫く寝かせる。形を整えてグレープシードオイルで揚げるとアップルサイダードーナツとなる。アップルサイダードーナツはアメリカ北東部の今の季節を濃縮したスイーツ。手作りドーナツは味も食感もなかなかいける。来週末も雨であろうか?雨だったらまた作ろうかと思っている。

 

夏の終わりの忘れ物

虫の鳴き声に集中しもう少しで蜘蛛に捕まるとこでした(汗)

 

 夏が過去になり広葉樹の落葉に季節の変化を感じている。職場に隣接している森は秋の到来と共に衣替えに忙しい様子である。

 誰が言い出したのかは不明だが、日本人特有の性質として虫の鳴き声を聴く感性を持っているらしい。虫の鳴き声を言葉と同じように聴けると言われている。夏が終わって秋になった今、ふと思い起こした様に辞し自身の中で声がした。「そういえば!今年はまだ、虫の声を聴いていないぞ。」この夏、夏の終わりに虫の声を聴いたという記憶が全く無いのである。おそらく何処かの草むらや庭で虫の鳴き声を聞いていたはずなのだが、残念ながら意識はそこに無かった様子。即ち今年の夏は虫の声を聴き損ねた、別の表現説明すると自分は日本として失格であり、気持ちはとても焦ったのである。その後意識して草むらに耳を傾ける様になり、幸いな事に虫の鳴き声を認識する事が出来た。今年は虫の声を聴き忘れる所であった。

 森を中を耳を澄まして歩いていると、虫の声を拾う事に気を取られて蜘蛛の巣に頭を掴まれるところであった。音に関心を持っのはいいが、前方注意!

 ハロウィン近し、蜘蛛も頑張っているみたい。

 

おばけは平和の象徴

秋(今)を感じる為にパンプキンを買う、今年のはでかいなぁ!


 毎年10月になると月末のハロウィンに向けてスパーマーケットにはオレンジ色のパンプキンが積まれる。橙色のパンプキンは秋を象徴する色彩。広葉樹の多いニューヨークの街の周辺は黄色く赤く染まり、家の中もその影響を反映する。大きなパンプキンをショッピングカートに入れてこの季節(秋)を感じる空気に包まれる事を期待する。

 先週末、地中海の東端で紛争が始ったとするニュースが流れた。窓が無く外に出られない狭い部屋に押し込まれた様な感覚を感じる出来事である。ニュースから伝わる悲劇と些細な秋の愉しみ事が交互に気持を刺激する。

 鳥取で過ごしていた小学校の子どもの頃は幽霊や妖怪がとてつもなく怖かった。特に夜の暗闇には恐怖が凝縮していた。茂みの影から何者かに見つめられているような恐怖心が常にあった。そんな恐れが懐かしい。今では幽霊が出てきたら挨拶し、妖怪が参上したら友達になろうと働きかける。なぜなら、今日、怖いと感じるのはおばけではなくて人間であるからだ。だが、自分が人間である以上人間から逃げる事は出来ないのだ。恐怖心を感じるからこそ向かい合わなければならない、それが恐怖を克服するためのコツなのだと思う。そう言いながら心はおばけに逃げて行く。おばけから逃げるのではなくておばけに、たすけてぇ!って縋ってゆく、おばけはこんな人間を観て慄いて逃げてゆくのであろう。おばけが怖い時代こそがいい時代なのだと思う。

 

今月の一枚 September 2023

バーモント州バーモントカレーを食らう!

 鳥取県バーモント州の共通点として、県州の名称は知っているが、地図上の何処にあるのかがピンポイントで示せない。また、日本人にバーモント州と言うとリンゴと蜂蜜が溶けているバーモントカレーが思い浮かぶという人が多いのではないだろうか? 実際にバーモント州にはリンゴ農園はあるが蜂蜜は有名ではなく、メープルシロップが特産品である。残念だが、カレーは無い!

 鳥取県バーモント州は過去おおよそ1/4世紀の時間をかけて友好関係を構築してきた。2018年の7月18日にはバーモント州の州都モントピリアにおいて、平井鳥取県知事とスコットバーモント州知事がテーブルに向かい姉妹提携協定書を交わし互いの友好と発展を約束した。2019年の初頭から世界はコロナ過となり人々の移動は制限される期間が続いた事により、交流行事も限定的に留まった。この秋、平井鳥取県知事がバーモント州を訪問されスコット知事との友好の時間を持たれるとの事。これは、素晴らしい出来事です。嘗て中曽根首相とレーガン大統領との関係をロン.ヤス関係と呼び親密な関係があったのを思い出す。主席同士の親密な信頼と友好が鳥取県バーモント州の姉妹関係をより深く構築する要となる。さて? ロン.ヤスに絡んで二人の関係をどの様に呼んだらいいのか考えているところである。

水の存在は光よりも古い

青く輝くバーモント州のボモシーン湖

 旧約聖書の創世記は以下の文章で始まる。

 はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵の表にあり、神々の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」といわれた。すると光があった。

 興味深いのは水の存在は光よりも古いという事、まじ! 今日のテーマは水。鳥取の県西部には大山、県東部には氷ノ山を中心とした中国山脈が連なり綺麗な水が豊富に存在し、水と共に暮らしがある。そういう環境で生活していると水に対する感謝が薄れがちになる。時々立ち止まり豊かな水がある事の有り難さに手を合わせる姿勢が大切である。水は資源であるだけではなく命そのもの。人の体外に輩出された水は廻り巡ってまた体内に入ってくる。循環するのは大気だけではない。そういった現象からも水を汚さない、水に感謝するのは自然であるべきだと思う。太古には神々の霊が水のおもてをおおっていた。よって、我々も水に感謝する気持ちを持つと神々になれるのかも知れない。

セピア色の9月

911は過去の出来事だが忘れる事が出来ない

 2001年9月11日(火)この日は天候の良い朝であった。いつもの様に公共交通機関を使いマンハッタンにある事務所に向かっていた。朝9時前、マンハッタンの中心を走る5番街を複数のパトカーと救急車が、けたたましいサイレンの音と共に猛スピードで南下して行く。5番街の歩道からからダウンタンを眺めると、ワールドトレードセンタービルの真ん中よりも上の辺りから黒煙が立ち上っていたのでビル火災だと思った。歩道を歩く多くの人々が立ち止まり不安な表情で緊張した空気に包まれていた。

 オフィスに到着してコンピューターのスイッチを入れ仕事にとり掛かり始めようとすると同僚が興奮して飛び込んで来た。そこで初めてワールドトレードセンターに旅客機が衝突した事を知る。いつもはBGMを流しているFMラジオは報道中継となっていた。2機目の旅客機が別のビルに衝突した報道がなされた時、これはただ事では無い!事を知った。鳴り続くサイレンの音がビルの谷間にこだまし響き続ける。ビルの窓から下を眺めると、5番街には多くの群集が急ぎ足で移動している。仕事が手に付かない、中継の報道に耳を傾けるしかなかった。ビルが崩壊(Collapes)というアナウンスがなされた直後、しばらく報道に沈黙の時間があった。この沈黙の時間は長かった、解説者が言葉を失ったのである。直ぐに我々はオフィスを閉めて街を駆けずる群集の流れに合流し避難民の如く彷徨ったのであった。

 毎年この日がやってくるとあの日の出来事を思い出す。あの日を境に世界的なテロとの戦いが始まった。近代の歴史の流れが強制的に変わった節目であった。あれから20年以上の時間が経過し、世界の情勢を客観的に観ようとする姿勢になれたのは当時の心の騒ぎがセピア色の映像となって記億に刷り込まれているからである。

 事件で亡くなった人々に冥福を捧げ、残された家族と友人の心の安泰を祈り続ける。

 

シャンプレーン湖のチャンプ

レイク シャンプレーン、おおおぃぃ チャンプよ出て来い!

 バーモント州で一番大きな街バーリントン。この街はレイク シャンプレーンという長さ200キロメートル、最長幅20キロメートルという大きな湖に接している。シャンプレーン湖は南北に細長く対岸はニューヨーク洲、そして北部はカナダのケベック州に接しており、地図で見ると歪な形をしているが全米で6番目に大きな湖である。

 日本ではあまり知れてはいないがシャンプレーン湖には巨大未確認生物(UMA)の目撃情報が100年以上昔から伝えられている。湖中に潜む怪物はチャンプと呼ばれる首長竜で実際に1977年にネッシーの様な巨体が水面に浮いている姿が写真に収められた。近年では昨年水中ソナーによる調査で首長竜のシルエットが撮影されている事から、チャンプは今も元気に水中で暮らしているのだ。

 鳥取には妖怪が跋扈し、姉妹関係のあるバーモント州には巨大首長竜が生存している。共にミステリーというテーマで話題が盛り揚がる。今度バーリントンを訪れたら、そこから見渡すレイク シャンプレーンの景色は観察力を持って眺める事になるのであろう。

 

今月の一枚 August 2023

ここは鳥取 いで湯鳥取 君を待つ!鳥取しゃんしゃん祭り

 きなんせ きなんせ おどりゃんせぇ!

 最後に鳥取しゃんしゃん祭りに足を運んだのは10代の頃。当時の日本経済は成長時代、鳥取においても生産業は追い風で活気がある昭和の時代であった。1965年に始まったしゃんしゃん祭りは日本の高度経済成長時代の運勢と共に成長し現在は文化として根付いてる。鳥取の夏を盛り上げ象徴する風物詩である。

 しゃんしゃん祭りは鳥取駅前の街道が人で埋まる。街道に並び傘を持って踊る人々の和服は色とりどり様々だが握る傘は統一されており、砂丘を象徴する赤と白の柄に日本海の青、そこに魚を示す銀の模様が加わる。鳥取を象徴する色は二十世紀梨から来る黄緑色が根付いているが、本来の鳥取カラーは赤と青と白(銀)星条旗と同じかも。神事が原点である故に踊りには因幡の神が宿り華やかな踊りに神は喜ぶ。神と人々が一つになる一年に一度の機会である。300年程昔の雨乞いの踊りが起源ではるが、しゃんしゃんという響きは” 謝 謝 ”とも聞こえ、参拝を意味する意味が重なっていると感じるのは因幡鎮守神の計らいであろうか? しゃんしゃん祭りの文化は鳥取アイデンティティ、素晴らしい祭りを継続する県民の方々に感謝の気持ちを送りたい。

 

朝の黄金

夏の朝、森の路上にまばゆく散らばる無数の黄金の切れ端

 今年8月のニューヨークの夏は爽やかであるが、その爽やかさは限定的である。盆を過ぎると夏の走者は最後の力を振り絞って駆けぬけ、秋の走者へバトンを渡してゆく。晴れた日の夏の朝の日差し。木陰の隙間を通って路上に散らばった陽光の切れ端を黄金の欠片と呼ぶ。金(ゴールド)の表現は希少価値があるものの名称で、黄金と呼ぶには複数の条件を満たす必要があるが、高価なものではなく身近にある巡る機会の事である。世の誰もが黄金を手に入れたいと思うに違いない。僕の場合は晴れた夏の朝の森の中の路上に無数の黄金が絨毯の様に散らばめられているのを見つけた、輝く黄金の破片を手中に握り占めるのではなく、黄金を浴びるである。自転車で走りながらその黄金を拾ってゆく。無数に存在するので保有しようとは思わない、持ち帰ろうとも思わない。黄金のは、誰にもあげる事は出来ないが、誰にでも与えられている。宝探しの宝は意外な所に隠されているのかも知れない。

 

アメリカで迎えるお盆

 アメリカに住んではいるが、幼い頃に日本のお盆の習慣を経験してきたので毎年8月のこの時期になると、自身の中にあるお盆の意識が目覚める。お墓参りに足を運ぶ事は出来ないが、静かな気持ちで手を合わせて目を閉じるその一瞬は仏壇の前や展墓にテレポテーションする感覚がある。自身という存在が今日ここに存在するのは原因という血縁が存在しての事、その原因に対して感謝の思いを置くのがお盆という時間である。

 携帯の計算機を使って計算してみれば一目瞭然であるが、誰でも10代先代は1000人を超え、2000人を超える御先祖様が存在する。500年前まで遡ると、おそらく現在の鳥取県人口に相当する御先祖様が存在しているので全員親戚みたいなもので、実は皆縁がある。通常、手を合わせて故人を拝む時そこまでの意識は沸き起こらない、また起こす必要は無いのであろう、なぜならば繋がっているからである。

 目を閉じて手を合わせると、蝉の鳴き声、線香の香り、冷えた西瓜、黄泉な景色と共に、弥生人の青谷上寺朗さんの顔も浮かんでくる。盆が過ぎると風に秋の匂いが漂う。アメリカでは夏休みが終わり新学期が始まる。また忙しい現実が始まろうとしている。

アメリカ北東部の山沿いから見上げた、昨年の8月13日の午前3時の月