梨とリンゴ

ニューヨークとっとり応援ブログ!

とっとり弁

 

もぎ取られる事なく冬を越す鳥取の柿、野鳥の好き餌となるのだろうか?

 長く鳥取に住んでいる人で自分はとっとり弁を使って喋っていると意識する人はまずいない。故郷を離れ東京にやって来ると、自分が普段使っている表現が周りと比較して異なっている事にもどかしさを感じる。普段使っている表現で普通に会話が成り立てばよいが時にそれでは意思が通じない。同じ日本語であっても異差があり、この違いを日本語の中の個性と呼びたい。

 鳥取に帰って、とっとり弁が大都会では通じない事があるという事実を基に、とっとり弁をまとめて編集し、とっとり弁大辞典を作成しようとする。すると、この課題に対して更なる課題を目にする事になる。鳥取県狭しと言えど西と東では方言が異なる。また局地を渡り歩き、山を越えたり谷が異なったりすると、方言は更に異なり均一化した標準が有るようで無い。方言の曖昧な現実性である。これはアフガニスタンの部族社会の様でもある。今日まで、これが鳥取弁です!とした標準の鳥取弁をまとめた鳥取弁辞典なるものは存在せず、もし有ったとしても、他所からではなく地元民からの突込み所が満載なのじゃないかと思うのである。

 そこで、鳥取弁の捉え方として80対20の法則を用いるのがふさわしい。8割は大方のとっとり弁、そして2割は地域性の特色を持っている。突っ込まれたとしても、ああっ、それは地域性の2割の部分だよね!で、攻撃をかわす事が出来るのである。このストラテジーがあればブロークンとっとり弁を堂々と語る事が出来る。日本で一番人口が少ない鳥取県のとっとり弁なので、日本で一番マイナーな方言である。よって、愛する価値あり!と観ている。