梨とリンゴ

ニューヨークとっとり応援ブログ!

空港にて

空港にて、ぼーっと過ごす、空白の開放された時間

 年明けの2日から仕事がはじまる。ホリディシーズンは過ぎ去り、気持の入れ換えが必要となる。朝の渋滞を避けて早朝に空港に到着しチェックインを済ませた。飛行機の搭乗まで約2時間の時間がある。コーヒーを手にして待合空間の椅子に座り、少し寛いだ気持ちで自分の時間を過ごす。

 僕が子供の頃、鳥取で過ごしたお正月は楽しい時間であった気がする。冬という期間、雪が積もっても楽しく、雪の降る寒い日に長靴を履いて足の感覚がなくなるほど冷えても苦ではなかった。子供の頃の冬の思い出は明確に現在に蘇る。しかし、不思議だと思うのは成人を過ぎてから今日までの、冬の記憶、正月の記憶は曖昧だ。特に近年の記憶は速やかに忘れ混沌として消えてしまっている。子供から大人になるその境目とは、思い出という記憶の鮮明度によって量る事が出来るのである。人間が成長し大人になるというのは素晴らしくも寂しい事なのだ、小説家の開高健はこの事を、知の悲しみ、と表現した。自分がまだ生き続けるというのは更に多くの悲しみに遭遇すると思う。だからこそ、楽しみとか喜びというのが故郷を想う憧憬の様に捉えられるのである。

 

能登半島地震で犠牲になった方々の冥福をお祈り致します。